お久し振り。

†六月に入って間もない日、
確か二日目だったか、それは起きた。
就寝前の真夜中に同居人が苦しみだし、
救急車の到着すら待てぬ程だった。
幸い、救急隊員の方々の行動と、
一件目の病院の先生方の処置のおかげで、
奴(同居人)は何とか命を助けられた。
然しそこはあいにく満床だったゆえ、
同じ大学病院だが少し遠い病院へ移された。
覚悟をと言われたが確信の元に祈り続け、
何時間かの処置も無亊に終わりそのまま入院。
私は家に帰されるのだが明け方、しかも雨。
奴の財布から失敬してタクシーで帰宅。
この日から一ヶ月程の試練は始まった。
結局三日後程に一件目の病院に転院。
それから退院まで外に出ない日はなかった。
だが、得たものは本当に大きかった。
気付かされた亊も本当にたくさんあった。
一度も倒れる亊なくあれらの亊を遂げられたのは、
誰のおかげだと問うなら全てのおかげといえる。
父なる神をはじめとする聖なる御方々、
そして遠くや近くにいる全ての人々や同居猫に至るまで。
遡ること五月だったか。
引越し後、恵まれているくせに自棄を起こして心体調を崩し、
更に生きる亊にネガティヴになっていた弱く憐れな人間が、
突然のこんな試練を通して不思議な亊に生きたいと願い、
またその試練の日々の中で生きるよろこびを感じられる様になった。
誰に感謝をすれば良いのか。
答えはひとつだ。



一ヶ月の間。そう、一ヶ月。
奴の退院も近いある日々の亊。
次から次へと、とはよくいうが、
次から次から次へとなんてそうあるものではない。
今度は身内に亊を起こした者があった。
詳細はさすがに記せないが思い出したくすらない。
駆けつけてみると当人は起きていた。
亊情が亊情だけに責めは出來なかったが、
この件には二つ厄介な亊があった。
然しこの亊が以降、彼らの絆を深めるきっかけとなるなら、
決して無駄ではなかった亊件(試練?)となるだろう。
心に刺さった言葉の棘の痛みをさすりながら、
何の為に來たのだかと思ったがどうやらお役に立てた様だ。
あとはたくさんの身内に任せてさっさと帰ってきた。
最後の件は本人同士の問題でもあるし、
如何にかなりそうかも判らなかったので様子見にした。



ざっとこんな感じで過ぎた六月。
七月は・・・正直ただ書く機会を逃しただけで、
今更思い出せる亊もない。
さて、日も暮れてきたな。。。